スタッフblog
皆さまこんにちは、宝石・時計のジュエリーニイミ です。
当店にはGIA.GG(米国宝石学鑑定士)、ジュエリーコーディネーター、リモデルカウンセラー、真珠振興会認定の真珠シニアアドバイザーなど宝石の専門家が在籍し、お客様の楽しいジュエリーライフを応援します。
愛知県半田市、知多郡阿久比町、西尾市に店を構え、県内全域から多くのお客様にご来店いただいております。
さて今回は...
知っておくと便利な刻印の歴史についてお伝えいたします。
刻印について書かせていただくためにいろいろと調べていたのですが…
想像以上に奥が深い!!
とてもじゃないけど1度に全てを書き切れない…
ですので、冒頭にもお伝えしたように今回は刻印の歴史についてフォーカスして書かせていただきます。
ご自身やご親族が結婚指輪の購入を考えられている方、必見です!
刻印について格好良く語れちゃいますよ!
そもそも刻印とは…?
突然ですが、子どもの頃を思い出してみてください。
おままごとで結婚式のシーンを再現したりしませんでしたか?
紐や折り紙などを結婚指輪に見立てて、交換した思い出を持っている方もいるでしょう。
そんなシーンに憧れを持っている女性は少なくありません。
なぜなら、日本では愛する人と結婚指輪を交換することが習慣化しているからです。
その起源はなんと!
遠い昔の古代ローマ時代まで遡ります。
当時は特にデザインされたリングではなくて、鉄の指輪を贈っていたようです。
現代に比べて女性の地位は低く当時の指輪の意味は、男性への服従や略奪結婚など売買結婚の証でした。
今では当たり前な、自由に結婚相手を選ぶということができない時代だったのです。
(現代に生まれて良かった…!)
ところで、どうして婚約指輪に鉄が使われたのでしょうか?
それは鉄が「信頼の結びつき」や「強い力」を象徴していたようで、女性が男性の所有物になったという証が欲しかったからみたいです。
「変わらぬ愛の証として、この指輪を捧ぐ」なんてラテン語が刻まれたリングも発見されているほどです。(自由に相手が選べないのは辛いけど、この言葉は素敵!!)
そして古代ローマの解剖学では左手薬指に心臓に繋がる血管があると考えられていて、心臓は感情を司るとされていました。だから感情(すなわち愛)と繋がる血管がある左手の薬指にはめられるようになったという説があります。
また実用的な意味で男性も女性も右利きが多いから、日常生活で邪魔にならない左手の薬指につけるようになったという説もあります。
11世紀頃から新しい価値観ができて契約の証として指輪の交換の儀式が行われるようになります。
その習慣が日本に入ってきたのは江戸時代の後期とされていて、さらに明治に入ると一挙に西洋文化が輸入されて西洋風の結婚指輪の文化が入ってきました。
ですが、日本ではまだまだ貴族文化も定着していない時代で男性が宝飾品を着ける文化も根付いていません。結婚指輪の習慣は定着しませんでしたし、結婚式そのものもキリスト教式のものはほとんどありませんでした。
定着したのは、第二次世界対戦の頃。
戦地に赴く男性と女性は離ればなれになってしまいますよね…。お互いが相手の無事を願う気持ちを込めて、自分の身代わりとして近くにいる役割を婚約指輪に託したのです。
このようなことから、遠く離れたふたりを結び付ける絆として結婚指輪をお互いの薬指につける儀式が一般的になりました。
戦争が終わると日本は徐々に西洋の文化を受け入れるようになり、結婚式で結婚指輪を交換する儀式が習慣として定着しはじめます今では、キリスト教式の結婚式だけでなく、人前式や神前式でも結婚指輪を交換するセレモニーは定番になっています。
こうして見ると日本での結婚指輪の歴史は意外と浅いんです。
そしてエピソードがすべてロマンチックで良いですよね!!
このブログを書かせていただいて、スタッフも刻印について知識を深める良いキッカケになりました。
皆さんが結婚指輪の刻印を入れる際に、その歴史について一節でも良いので思いだして頂けると嬉しいです。